ENAGÉ
Encourage Engagement
婚活コラム マッチングアプリ 出会い

マッチングアプリのメッセージに潜む「虚無感」の正体

マッチングアプリのメッセージに潜む「虚無感」の正体

「また同じ自己紹介を送った。また既読スルーされた。」

マッチングアプリで真剣に活動している人なら、一度は感じたことのある感覚があるはずだ。一問一答のコピペメッセージ。スペックチェックのような最初のやりとり。そして理由もなく終わる会話。

丁寧に向き合おうとすればするほど消耗していく。あの疲弊感の正体は、いったい何なのか。

20〜40代の婚活層の半数以上が何らかのアプリを利用した経験を持つとも言われる。それだけ普及したにもかかわらず、「アプリ活動をしているのに出会えない」「何十人会っても決まらない」という声が後を絶たない。

その理由の一つが、アプリのコミュニケーション構造そのものにある。

テキストのやりとりは、基本的に「言語化できること」しか伝わらない。相手の声のトーン、話すときのテンポ、困ったときの表情の変化——長く一緒にいるうえで大切な「非言語情報」は、チャット上では一切伝わらない。それでも私たちは、何十通ものメッセージを重ねることで「相手のことを知ろう」とする。

結果として何が起きるか。相手のスペック(年収・職業・趣味・学歴)の確認に終始し、「この人と一緒にいて心地よいか」という、本来最も大切な問いから遠ざかっていく。

婚活アプリでは、相手の「プロフィール」が最初の接点になる。写真が選び抜かれているのは当然として、自己紹介文も「よく見せよう」と編集された情報だ。現実の人間が、最もよく見える状態でパッケージングされている。

しかし現実の人間関係は、その「よく見せよう」とした状態とはズレたところで始まる。疲れている日の口数の少なさ、予想外の状況への戸惑い、一緒に笑い転げた偶然の瞬間——そういうところに、人柄の地金は出る。アプリというシステムは、そのリアルな地金を見せにくくする構造になっている。

真剣な人ほど「商品」になっていく矛盾

真剣に婚活に取り組んでいる人ほど、スクリーンの向こうにいる相手を懸命に想像しようとする。

でも、年収・学歴・趣味のリストを眺めるほどに、「自分もまた条件で値踏みされている」という感覚が強くなる。商品棚に並んだトマトのように、手に取られるか否かを待つだけの存在になったような虚しさ。それは真剣だからこそ生まれる疲労だ。

私が主催するイベントに参加した女性(29歳・看護師)は、それまで3年間アプリで活動してきた。「最初は楽しかったけど、途中から自分がコンビニの商品みたいな感覚になってきた。選ばれるかどうかを待つだけで、自分から誰かを選ぶ感覚がなくなっていた」と話してくれた。

その感覚の正体は、アプリの構造にある。アプリ上でのやりとりでは、どうしても「評価される側」という意識が強くなる。写真を選び、自己紹介文を整え、メッセージの返し方を考える——その全てが「相手に良く思われるための努力」だ。婚活の主体が「自分」ではなく「審査される自分」にすり替わっていく。

もう一つ、見落としがちな事実がある。一問一答のメッセージを何十往復も続けても、そこには「本当の対話」はほとんど生まれていない。対話とは、相手の言葉に対してリアルタイムで感情が揺れ、それが言葉になる瞬間のことだ。テキストのやりとりには、その「揺れ」がない。

だから、何十通メッセージを重ねても「相手をよく知った気がしない」という感覚が残る。その不満足感が、新たな「いいね」への衝動を生む。同じサイクルを繰り返す。

テキストコミュニケーションでは「相手が選んだ言葉」しか見えない。「言いたくて言った言葉」より「言わずにいた沈黙」、「きちんと書いたメッセージ」より「思わず出た反応」の方が、その人の本質を教えてくれる。アプリの構造は、その「言わずにいたもの」を完全に隠してしまう。

言葉をすっ飛ばして、体で知る

一度、画面を閉じてみてほしい。

私が主催するピックルボールの婚活イベントでは、言葉はほとんど要らない。参加者は最初、「初対面の人と2時間どう過ごせばいいか」と少し緊張した顔をしている。しかしコートに出てラリーを始めると、その緊張は10分もしないうちに消える。

ラリーが1往復するだけで、相手の気遣いのレベル、プレーのテンポ、失敗したときの反応が直接伝わってくる。うまくいかなかったとき、笑えるか。相手のミスを責めず「大丈夫」と言えるか。ナイスショットに対して素直に「すごい!」と声に出せるか。

こうした反応は、すべて「その人のリアルな人柄」だ。編集もコピペも加工もできない。

私のイベントに参加した男性(33歳・IT系)は、「アプリで何十人会っても分からなかったことが、ここでは30分で分かった気がした」と言っていた。半年後、同じイベントで出会った女性との交際を経て、入籍を報告しに来てくれた。

ピックルボールはラケットが軽く、コートが狭い。運動経験ゼロでも、その日のうちにラリーが続くようになる。体力差が出にくく、運動の得意・不得意が関係ない。スポーツが苦手だと思っている人ほど、当日「意外と楽しかった」と言う。

言葉を重ねるより、1分間のラリーの方が、相手のことを正直に教えてくれる。人間の相性の多くは、言語化される前の動作と反応の中にある。共に体を動かし、同じ空間でミスをして、笑い合う。その繰り返しが、どんな自己紹介文よりも「この人と一緒にいたい」という感覚の土台を作る。

画面を閉じた先に、自然体の出会いがある

婚活という重圧を忘れて、ただ無邪気に動いて笑い合う中で、「この人、なんかいいな」と思える瞬間がある。

そこには自己紹介文も既読スルーも、スペックの比較もない。ただ、自然体のままの自分がいる。そして、相手も同じように自然体でいる。

アプリで作り上げた「よく見せる自分」ではなく、ミスしても笑える「等身大の自分」で出会った縁は、思ったより強くて長続きする。

婚活という行為を、「審査される場」から「体験を共有する場」に変えてみてほしい。その視点の切り替えだけで、出会いの質はまったく変わる。

自己紹介文の言葉より、コートの上の笑い声の方が、相手の心に届く。

文字を打つのに疲れたなら、言葉の要らない場所へ。

https://encourage-es.peatix.com/